カルマ適正。 刈払機アタッチメントシリーズ Attachment for Brushcutter

カルマの法則は侮れない!時代を越えた気づきの法則

カルマ適正

カルマの法則で人生を変える方法について カルマの法則概要 まずカルマの法則と言うものをもう少しどんなものであるのかを詳しく説明させていただきます。 カルマの法則の「カルマ」とは何かと言いますと、サンスクリット語で「カルマン」といい、パーリ語では「カーマ」と言う「働き」と言う意味を持つ言葉。 日本語では「業(ごう)」とか「罪」なんて訳されたりしますが、実は「行い」と言うのが正しい訳です。 「行いの法則」と言えるカルマの法則を日本人に分かりやすく言い換えるならば「 因果応報」と言う考え方が非常に近いです。 もっと簡単に言えば、「 やってきたことの良いとか悪いとかが結果をもたらす」と言う考え方が正にこのカルマの法則の考え方でして意外と日本人には広く深く根付いている思想でもあるという事ができます。 勿論ヒンドゥー教のカルマの法則と言うのはそんな単純な事だけで構成されているものではないのですが、この「行いこそが結果を成す」と言う考え方が根本となっていて、そのことがどういう事をしないといけないだとか、どういう事はしてはいけないという事を決めていると言う考え方は殆ど同じ。 また日本でも良く言われるように良いことを普段からしていれば良い結果が出て、悪い事をしたなら悪い結果が出るという所も大体一緒です。 そうした概要がこのカルマの法則にはありますので、「原因と結果の関係の法則」と、このカルマの法則と言う事も出来ます。 カルマの法則の基本の考え方 カルマの法則は日本人に馴染みのある言い方をすると「因果応報」と言うことであり、自分のした行為の良し悪しこそが、自分の結果の良し悪しを生み出すのだ、と言う法則なのですから当然出来るだけ良い結果が欲しければ、できるだけ良い行為をする必要がある訳です。 では何が良いことであり、何が悪い事なのかを決めているのかと言いますと、ある人は神様だとか仏様だと言いますし、ある人は宇宙の意思だと言うような目に見えない「なにか」とか「力」がこれを決めています。 しかもどの行為こそが良い行いで、どの行為が悪い行いなのかと言うことは その時の状況や、その人の前世を含むこれまでの「カルマ」によって変わってくると言われています。 例えば「家族のために、国のために戦争で人を殺すことは良い行いか?」と聞かれた時にあなたはなんと答えますか? 筆者の答えは「分からない」です。 一見良い事をしているようにも見えるでしょうが、やっている事は人殺しですし、戦争相手の国の人からしてみればどう考えても悪い行いだとも言えます。 では悪いのか?と聞かれましたらこれもしっくりきません。 家族や国のために命を張っている事が悪いとは思う人はいないでしょうし、人を殺すのが自分のすべきことを全うする事と考えたならば、正しいことだとも思えます。 その為、事前に行為の良し悪しを判別することはほぼ不可能です。 勿論自分のしたことが良い事だったのか、悪い事だったのかは結果を見れば分かります。 しかしそれでは全く意味がありませんからベターな選択肢は何かと言いますと先人が開拓した「善行を積む行為を模倣する」ことになるという訳です。 色々な宗教で言われる教えや戒律を守ることもそう、これをすると良いと言われている修行を自ら積むのもそう。 そうした善行は多くの場合共通して人間の欲望を抑えたり、逆らうことだとされていますから人間の欲をコントロールすることが良い行いに当たる。 だからこそカルマの法則においては「 可能な限り欲をコントロールすることで良い結果を生んでいきましょう」と言う結論に至るわけです。 しかしこれ、ある意味では正しいのですが、ある意味では間違ってもいます。 なぜなら本当にカルマの法則で言う所の「良い行為」をしようと言うのなら、やはり良し悪しを決めている「目に見えない人間の知覚領域を超えたスピリテュアルな力や存在」に従った行動を心がけることこそが必要な事だからです。 ではそんな「目に見えない人間の知覚領域を超えたスピリテュアルな力や存在」ってそもそもホントにあるのか?あったとしたらどうやってそれの意思を知る事ができるのかを次は説明していきます。 カルマの法則を管理する不思議な力の存在証明 カルマの法則での良し悪しを決めるのは「 目に見えない人間の知覚領域を超えたスピリテュアルな力や存在」。 これを聞いた時、現代社会のスピリテュアルな事に疑いを持っているとか、スピリテュアルな事に関心が無い人の多くは胡散臭いと思う人も多いでしょう。 しかしこのカルマの法則を働かせる「目に見えない人間の知覚領域を超えたスピリテュアルな力や存在」は確実にあります。 例えば人間が一切手を加えない自然の中で動物は自分達が食べる物を食べ過ぎて自分達の首を絞めない加減と言うのを知っていますし、増えすぎた動物は自発的に子供を作らないようになったり、適応能力が低い存在は滅ぶ仕組みがある事を知らない人は居ないでしょう。 人間だってこれと同じような感覚と言うのを持っています。 例えば罪悪感や羞恥心。 人を殺してはならないというルールがなくても殆どの人は、人を平気な顔をしてで殺すことは出来ませんし、誰も見ていないし気がつかれない街の中で裸になりたいと思う人が少数派であるように、基本人間も本能的に「なんだかやりたくないこと」と言うのを感じることが出来ます。 このようにアダムスミスの市場価格を決める「神の見えざる手」の理論のように、特にルールがなくとも実は人間も本来は「なんとなく」に従っていれば自然とあるべき良い形に落ち着けるはずなのです。 しかし人間は時に意味なく絶滅動物を作ったり、同族を戦争で大量に殺したりとやりすぎることが多々あります。 こう考えると宗教や神話などにおいては一般的には人間は欲望が強くなりすぎた生き物だと言われていますが、そうではなくて本能が発するブレーキ「なんとなく」を感じることが徐々に出来なくなっていった生き物であると考える事が出来ます。 ここまで読んでいただけたならなんとなく察した方もいるとは思いますが、つまりこの本能が訴えかけてくる「 なんとなく」こそが「目に見えない人間の近く領域を超えたスピリテュアルな力や存在」の存在証明であると言えるのです。 そうしたブレーキをかける存在がいるのか、そうしたシステムがあるのか、あるいはそれこそ「そういうもの」なのか、という事は私達が定義出来る事ではないのでしょうが、そうした「なにか」は確実にあります。 「人間は文明を築くと共に神の声が聞こえなくなっていった」と言う表現があるように本能に従うと言うとまるでいけないことのようにも感じる人が多いのでしょうが、 アクセルばかりが本来は本能ではなく、ブレーキをかけるのも本能なのですから全く本能に従わないと言うのはそれはそれでカルマの法則を本当に活用できているとは言えないのです。 ではどうすることが活用出来る事なのかを最後に次で述べていきます。 本当にカルマの法則を活かす方法 カルマの法則とは 良いことをすると良い結果が起こり、悪い事をすると悪い結果が残るという事。 そして良い事と悪い事を決めるのは「目に見えない人間の知覚領域を超えたスピリテュアルな力や存在」であり、そうした存在は私達に「本能のブレーキ」と言う形で何が良い事で悪い事なのかを教えてくれる。 だから「目に見えない人間の知覚領域を超えたスピリテュアルな力や存在」の決める良い事をした方が良い。 これが最も簡単に本当にカルマの法則を活かすための方法を説明したものなのですがこれだと全く具体性が無いのでもう少し詳しく説明していきたいと思います。 まず本能にただ従ったら良いのかと言うとこれは違います。 数々の宗教や様々な風習が伝えているように人間と言う生き物になった瞬間から私達は「神の声」とも言われるブレーキを自動でかける機能が悪くなっていますから、自らブレーキをかけていかねばなりません。 しかし本能とは本来生きるための機能ですし、たまには自動でブレーキをかけてくれることもあって、なんでもかんでも抑えられたら良いのかと言うとそれもまた違うと言えます。 では一体どうしたら良いのか? その答えは 子供を参考にするべきです。 子供と言うのは最も正直な時期ですし、最も先入観が無い状態。 子供が強く抵抗を感じることはほぼ間違いなく本能が聞かせているブレーキであり、良いことであるケースは非常に少ないです。 子供がやたらとしたがることや我慢できない事は生きるために最低限必要なことであり、死んでしまっては終わりなのですからこれらの欲を抑えるのは最も後回しにすべきです。 具体的にあげるのであれば子供が強く抵抗することは危害を加えられそうになること、又逆に自分が意味なく何かに危害を加えそうなこと。 子供が我慢できないことは欲で言うならば 食欲、排泄欲、睡眠欲、運動欲であり、したがることを産んでいる心理で言うなら好奇心ではなく、実は 向上心や探究心があげられます。 その為これらを踏まえて自分が現代社会の中で「普通」に生活しながらもカルマの法則を活かしていくためには最低限、危害を加えられそうになること、又逆に自分が意味なく何かに危害を加えそうなことを絶対にしないようすること。 そして食欲、排泄欲、睡眠欲、運動欲、以外の欲を可能な限り我慢して、向上心や探究心にしたがって生きると言うのが自分にとってのカルマの法則を活かす方法であると言えるという訳です。 最後にもう一度だけ言っておきますがカルマの法則の良し悪しを決めているのは「目に見えない人間の知覚領域を超えたスピリテュアルな力や存在」であり、それは言い換えるならば確実に自分がしてきたことがそのまま結果として返されていると言う状態なので、出てきた結果が自分のしていた行為を自分自身がどう思っていたかを反映するという事でもあります。 出た結果についてその時自分がどう思うかも実はキッチリとカルマの法則が働くことも覚えておいて下さい。

次の

【白猫】カルマ(魔)の評価とおすすめ武器

カルマ適正

行為・結果を生むう行為(因果応報に近いイメージ)• 良いことをすれば(因)自分に良いこと(果)が。 悪いことをすれば悪いことが。 ってやつですね。 カルマは「行い」ですが、自らの自由意思によって選んだ行為を指すものという説明です。 カルマにおける様々な解釈 正しいカルマの解釈は僕はないと感じています。 好みです。 なのでここではカルマにおける解釈を2つに分けて考えてみます。 なので、この 善と悪がある。 とするコンセプトに同意した目線でカルマを解釈すると、以下のような捉え方ができます。 カルマは罪と罰である• 善行を為すと天国、悪行を為すと地獄• 前世の行いが今世の幸不幸に繋がる• 人にいじわるしたらバッドカルマ• 良いことをしたらグッドカルマ• カルマは逃れられない運命である• etc.. 少し誇張した表現も交えましたが、こういった説明が多くなると思います。 こちらはカルマを 神が与える試練としてみる見方と言ってもいいでしょう。 前世の悪行を悔い改め、今世では良いことをして他人に尽くし、徳を積んで生きるとご先祖もあなたもすごく幸せになれます。 みたいな。 言いすぎですけどね。 ちなみに、ここでいうレッスンは、 不幸な環境などではなく、新しい価値観に気が付くための種みたいなものです。 こちらにおけるカルマは以下のような見方になります。 カルマは運命ではない• 過去世・平行世がもとにある古い価値観(ぬぐえない感情や思考パターン)• カルマは今ここの自分で変わる• (罪や罰としての)カルマは存在しない• バッドカルマは「本来の自分」ではない側面• グッドカルマは「本来の自分」の側面• etc.. カルマを変えられない運命や善悪的な視点ではなく、「今ここ」で解釈するとそれは自由意志への気づきです。 ホ・オポノポノでいうところの、すべて自分に責任(自由に選択できる能力)があるってことに気が付く「チケット」みたいなものです。 宇宙に善悪はない。 本当にここは好みです。 ただ、その因も果も、一定方向だけで見て、もし逃れられない運命だとしたらやるせなくないですかね?そしてその善悪や罪と罰って何が基準で誰が決めるんですかね? (あなたこれだけのことやったから、今回はこれねー!みたいな笑) まあ、カルマってぼくは人間が作った言葉で、何が正解で不正解ってわけではないから好きなように取り入れたい人は取り入れればいいとかなり思っています。 カルマと宇宙の法則(原因と結果の法則) カルマをシステム的にみる見方もあり、それを宇宙の法則とする人もいるようです。 原因と結果の法則とカルマ 原因と結果の法則は、簡単に言えば、「 すべてに偶然はなく(原因があり)、必然である(結果がある)」という考え方です。 これを「カルマ」と一緒にみるのであれば、こちらも 上の2つに付随した捉え方が可能です。 善悪としてみる原因と結果の法則 こちらはわりとポピュラーですよね。 原因(良いこと・悪いこと)があって、結果(良いこと・悪いこと)を反映するということです。 ここに付随させて、「カルマ」となると、 過去世・前世の行いや立ち振る舞いを含むものとする考えが霊能者さん界隈ではポピュラーな気がします。 例えばですが、前世で、 人の恨みやつらみを買うような行為を続けたため、今世では、 人に嫌われる傾向にある。 とかですかね。 神様えげつないです。 善悪を抜けた原因と結果の法則 こちらは、原因や結果を善悪では分けず、繰り返しがちなパターンとしてみます。 そして、その繰り返しがちなパターンはマインドやスピリットに影響し無意識の「クセ」を形成します。 (前世や過去世も含む考えでの) カルマを交えて先ほどの例を引き継ぐなら、 人の恨みやつらみを買う行為が「習慣化」しています。 恨みやつらみを買う行為の根っこにあるのは自尊心を保つため。 とか、自分を保つため。 のものだとマインドやスピリットが「思い込み」ます。 生まれつき人に嫌われる傾向がある。 という「結果」をこの視点で解釈するなら、嫌われることで逆説的に 自尊心を保てているというマインド(潜在意識)が「原因」といえます。 行為そのものというよりは、そこで生まれた「過去の自分」あるいは「錯覚している自分」が起因とする見方です。 点でみるか線でみるか ぼくはカルマや原因と結果の法則を点でみるか線でみるかの違いだと感じます。 後者の方が、 「今」の自分の意志や責任で変わるものとイメージしやすいのでぼくは好きです。 前者の見方が間違いというわけではなくもちろん自由です。 ただ、なんか自分のかじ取りを神様的な何かとか、外側のすごいやつにされている気がして、やるせなくなるからです。 笑 みなさんはどっちのイメージをもっているでしょうか? カルマは「本来の自分」に戻るプロセス? 自由意志やレッスンとしてのカルマをもう少し、深堀すると「本来の自分」に戻るプロセスとして捉えられます。 「古い記憶」としてのカルマ ぼく自身はカルマを「古い記憶」としてみることが多いです。 エックハルト・トールでいうところのペインボディ、ホ・オポノポノでいうところの「過去の記憶」です。 古い記憶を言い換えれば、 ボディ、マインド、スピリットに蓄積された思い込みや価値観です。 蓄積されるのはもちろん、平行生や過去生、その他いろいろの自分です。 「本来の自分」と「古い記憶」とカルマ 個人レベルで言えば、蓄積された思い込みや価値観によって、「本来の自分」の声は遠ざかります。 もう少しわかりやすく表現するなら、「 自分の人生は100%自分で決まる」という選択が見えにくくなります。 見えにくくなる理由の一部にカルマ(主には過去世や平行世としての自分の行いや思い込み)もあるかもね。 という程度です。 善悪でカルマを見るなら、良いカルマ=本来の自分の声、悪いカルマ=古い記憶・クセになってる自分の声とする見方もアリですよね。 古い記憶の派生 少し余談ですが、「カルマ」は個人レベルだけでなく、家系、遺伝レベルにあるとすることも可能です。 変えられない運命ではなく、思い込みや価値観ですので、風潮といってもいいかもしれません。 カルマを超えて人生で繰り返すパターンを抜け出す方法 善悪としてみるカルマではなく、感情・精神レベルにあるカルマのことです。 カルマ解消方法の例 感情・精神レベル、思い込みとしてのカルマは自分で変えられます。 自分の人生はすべて自分から変わる最強の法則だからです。 例えば親が愛情を注いではくれない家庭だったとか、身体的なものだったり、生まれつきの境遇というのは変えることは難しいです。 変わらないものに意識やパワーを注ぐのはもったいないので、自分のテーマかね。 くらいの気持ちで再定義しつつ、 変えられそうな部分に意識やパワーを注いであげると、 無限のパラレルワールドがこんにちはするかもしれません。 まとめ:カルマも因果もけっこう自分で変えられるらしいですよ カルマはわりと聞かれることも多いので、少し自分の整理のためにもまとめてみました。 巷では罪と罰で、良いカルマも悪いカルマもあります。 善を為し、感謝しましょう!みたいな説明は多いです。 捉え方なので、間違いではないですが、それ波動高めに引き寄せましょう。 寄りでエネルギーの性質のことを言ってるんかなと感じます。 人生の意味は僕自身ようわかりませんが、 選択は常に自分にあり。 というイケメン精神はかなりのレベルで同意しています。 スピリチュアル界隈にはいろんな用語があり、いろんな視点があります。 カルマもその1つですが、ぼくは言ってることは一緒だな。 という印象があります。 カルマをペインボディ、過去の記憶、ただの思い込みやぬぐえない感情感覚と表現してもいいと思います。 それこそスピリチュアルっぽい世界観が好きなら前世や平行世から次ぐ古いモノとしてみてもおもろいですよね。 生まれたシチュエーションで逃れられない運命としてみるカルマもいいかもしれませんが、 夕方4時ころまで寝ちゃった罪悪感と、何もしない日がな一日で終わるやるせなさ感を想起させるのでぼくは好みではありません。 笑 みなさんはどう感じているでしょうか? いつも読んでくださって本当にありがとうございます。 質問や意見があればコメントまでお寄せくださいませ。

次の

刈払機アタッチメントシリーズ Attachment for Brushcutter

カルマ適正

行為・結果を生むう行為(因果応報に近いイメージ)• 良いことをすれば(因)自分に良いこと(果)が。 悪いことをすれば悪いことが。 ってやつですね。 カルマは「行い」ですが、自らの自由意思によって選んだ行為を指すものという説明です。 カルマにおける様々な解釈 正しいカルマの解釈は僕はないと感じています。 好みです。 なのでここではカルマにおける解釈を2つに分けて考えてみます。 なので、この 善と悪がある。 とするコンセプトに同意した目線でカルマを解釈すると、以下のような捉え方ができます。 カルマは罪と罰である• 善行を為すと天国、悪行を為すと地獄• 前世の行いが今世の幸不幸に繋がる• 人にいじわるしたらバッドカルマ• 良いことをしたらグッドカルマ• カルマは逃れられない運命である• etc.. 少し誇張した表現も交えましたが、こういった説明が多くなると思います。 こちらはカルマを 神が与える試練としてみる見方と言ってもいいでしょう。 前世の悪行を悔い改め、今世では良いことをして他人に尽くし、徳を積んで生きるとご先祖もあなたもすごく幸せになれます。 みたいな。 言いすぎですけどね。 ちなみに、ここでいうレッスンは、 不幸な環境などではなく、新しい価値観に気が付くための種みたいなものです。 こちらにおけるカルマは以下のような見方になります。 カルマは運命ではない• 過去世・平行世がもとにある古い価値観(ぬぐえない感情や思考パターン)• カルマは今ここの自分で変わる• (罪や罰としての)カルマは存在しない• バッドカルマは「本来の自分」ではない側面• グッドカルマは「本来の自分」の側面• etc.. カルマを変えられない運命や善悪的な視点ではなく、「今ここ」で解釈するとそれは自由意志への気づきです。 ホ・オポノポノでいうところの、すべて自分に責任(自由に選択できる能力)があるってことに気が付く「チケット」みたいなものです。 宇宙に善悪はない。 本当にここは好みです。 ただ、その因も果も、一定方向だけで見て、もし逃れられない運命だとしたらやるせなくないですかね?そしてその善悪や罪と罰って何が基準で誰が決めるんですかね? (あなたこれだけのことやったから、今回はこれねー!みたいな笑) まあ、カルマってぼくは人間が作った言葉で、何が正解で不正解ってわけではないから好きなように取り入れたい人は取り入れればいいとかなり思っています。 カルマと宇宙の法則(原因と結果の法則) カルマをシステム的にみる見方もあり、それを宇宙の法則とする人もいるようです。 原因と結果の法則とカルマ 原因と結果の法則は、簡単に言えば、「 すべてに偶然はなく(原因があり)、必然である(結果がある)」という考え方です。 これを「カルマ」と一緒にみるのであれば、こちらも 上の2つに付随した捉え方が可能です。 善悪としてみる原因と結果の法則 こちらはわりとポピュラーですよね。 原因(良いこと・悪いこと)があって、結果(良いこと・悪いこと)を反映するということです。 ここに付随させて、「カルマ」となると、 過去世・前世の行いや立ち振る舞いを含むものとする考えが霊能者さん界隈ではポピュラーな気がします。 例えばですが、前世で、 人の恨みやつらみを買うような行為を続けたため、今世では、 人に嫌われる傾向にある。 とかですかね。 神様えげつないです。 善悪を抜けた原因と結果の法則 こちらは、原因や結果を善悪では分けず、繰り返しがちなパターンとしてみます。 そして、その繰り返しがちなパターンはマインドやスピリットに影響し無意識の「クセ」を形成します。 (前世や過去世も含む考えでの) カルマを交えて先ほどの例を引き継ぐなら、 人の恨みやつらみを買う行為が「習慣化」しています。 恨みやつらみを買う行為の根っこにあるのは自尊心を保つため。 とか、自分を保つため。 のものだとマインドやスピリットが「思い込み」ます。 生まれつき人に嫌われる傾向がある。 という「結果」をこの視点で解釈するなら、嫌われることで逆説的に 自尊心を保てているというマインド(潜在意識)が「原因」といえます。 行為そのものというよりは、そこで生まれた「過去の自分」あるいは「錯覚している自分」が起因とする見方です。 点でみるか線でみるか ぼくはカルマや原因と結果の法則を点でみるか線でみるかの違いだと感じます。 後者の方が、 「今」の自分の意志や責任で変わるものとイメージしやすいのでぼくは好きです。 前者の見方が間違いというわけではなくもちろん自由です。 ただ、なんか自分のかじ取りを神様的な何かとか、外側のすごいやつにされている気がして、やるせなくなるからです。 笑 みなさんはどっちのイメージをもっているでしょうか? カルマは「本来の自分」に戻るプロセス? 自由意志やレッスンとしてのカルマをもう少し、深堀すると「本来の自分」に戻るプロセスとして捉えられます。 「古い記憶」としてのカルマ ぼく自身はカルマを「古い記憶」としてみることが多いです。 エックハルト・トールでいうところのペインボディ、ホ・オポノポノでいうところの「過去の記憶」です。 古い記憶を言い換えれば、 ボディ、マインド、スピリットに蓄積された思い込みや価値観です。 蓄積されるのはもちろん、平行生や過去生、その他いろいろの自分です。 「本来の自分」と「古い記憶」とカルマ 個人レベルで言えば、蓄積された思い込みや価値観によって、「本来の自分」の声は遠ざかります。 もう少しわかりやすく表現するなら、「 自分の人生は100%自分で決まる」という選択が見えにくくなります。 見えにくくなる理由の一部にカルマ(主には過去世や平行世としての自分の行いや思い込み)もあるかもね。 という程度です。 善悪でカルマを見るなら、良いカルマ=本来の自分の声、悪いカルマ=古い記憶・クセになってる自分の声とする見方もアリですよね。 古い記憶の派生 少し余談ですが、「カルマ」は個人レベルだけでなく、家系、遺伝レベルにあるとすることも可能です。 変えられない運命ではなく、思い込みや価値観ですので、風潮といってもいいかもしれません。 カルマを超えて人生で繰り返すパターンを抜け出す方法 善悪としてみるカルマではなく、感情・精神レベルにあるカルマのことです。 カルマ解消方法の例 感情・精神レベル、思い込みとしてのカルマは自分で変えられます。 自分の人生はすべて自分から変わる最強の法則だからです。 例えば親が愛情を注いではくれない家庭だったとか、身体的なものだったり、生まれつきの境遇というのは変えることは難しいです。 変わらないものに意識やパワーを注ぐのはもったいないので、自分のテーマかね。 くらいの気持ちで再定義しつつ、 変えられそうな部分に意識やパワーを注いであげると、 無限のパラレルワールドがこんにちはするかもしれません。 まとめ:カルマも因果もけっこう自分で変えられるらしいですよ カルマはわりと聞かれることも多いので、少し自分の整理のためにもまとめてみました。 巷では罪と罰で、良いカルマも悪いカルマもあります。 善を為し、感謝しましょう!みたいな説明は多いです。 捉え方なので、間違いではないですが、それ波動高めに引き寄せましょう。 寄りでエネルギーの性質のことを言ってるんかなと感じます。 人生の意味は僕自身ようわかりませんが、 選択は常に自分にあり。 というイケメン精神はかなりのレベルで同意しています。 スピリチュアル界隈にはいろんな用語があり、いろんな視点があります。 カルマもその1つですが、ぼくは言ってることは一緒だな。 という印象があります。 カルマをペインボディ、過去の記憶、ただの思い込みやぬぐえない感情感覚と表現してもいいと思います。 それこそスピリチュアルっぽい世界観が好きなら前世や平行世から次ぐ古いモノとしてみてもおもろいですよね。 生まれたシチュエーションで逃れられない運命としてみるカルマもいいかもしれませんが、 夕方4時ころまで寝ちゃった罪悪感と、何もしない日がな一日で終わるやるせなさ感を想起させるのでぼくは好みではありません。 笑 みなさんはどう感じているでしょうか? いつも読んでくださって本当にありがとうございます。 質問や意見があればコメントまでお寄せくださいませ。

次の