スフィンクス なぞなぞ。 ABC006

人類史上初の『知能テスト』は実はスフィンクスのなぞなぞ?!|ボードゲームは最強のソリューションツール♪|note

スフィンクス なぞなぞ

「スフィンクス」人の王であり百獣の王でもあるもの スフィンクスと聞いて砂漠の中に猫が香箱を組むようにして佇むあの像を思い浮かべるでしょう。 そうです。 その通りです。 あれこそがエジプト神話におけるスフィンクスの姿なのです。 エジプトではスフィンクスは神聖な存在です。 それは王家の象徴とされていて神と同じように崇められてきました。 スフィンクスを思い浮かべてみてください。 スフィンクスの頭に被せられているものを。 あれはネメスという帽子のようなものですがツタンカーメンの仮面を思い出してもらえると分かりやすいと思います。 スフィンクスはそこネメスを被った王ファラオの顔と百獣の王であるライオンの体を合わせたものです。 そのスフィンクスは大変神聖なもので敵を倒す力と王を守るための力を与えてくれると考えられています。 「スピンクス」ゲームと謎かけが好きなエキドナの娘 場所は変えて舞台を古代ギリシャに移しましょう。 古代ギリシャより伝わる神話ギリシャ神話にもスフィンクスが登場します。 ですがギリシャ神話ではスピンクスと呼ばれています。 ギリシャ神話に登場するスピンクスはエジプトのスフィンクスとは容姿が少々異なります。 百獣の王ライオンの体を持つのは同じですがその顔はファラオではなく女性の顔です。 そしてその背中には鷲の翼を持っているのです。 エジプトのスフィンクスが神のように崇められていた一方でギリシャ神話のスピンクスは怪物とされているのです。 このスピンクスのようにいくつかの生物が合成されたような容姿の怪物はギリシャ神話には他にも登場します。 犬と蛇を合わせたケルベロスにオルトロスの兄弟、ライオンと山羊と蛇を合わせたキマイラもそうです。 ケルベロスにオルトロスやキマイラには実は共通点があります。 それは母親が同じだということです。 その母親とは人と蛇が合わさった怪物エキドナです。 今回お話ししているスピンクスもまたこのエキドナの娘なのです。 スピンクスの時折尻尾が蛇になっている描写がされますがそれはエキドナの血を引いている証拠なのでしょう。 神話の中には怪物スピンクスが破壊や殺戮を繰り返すような描写はありません。 ただ彼女はゲームと謎かけが大好きなのです。 スピンクスがいるのはピキオンという山です。 彼女はここを通る旅人になぞなぞを出します。 冒頭でお話ししたなぞなぞを出すスフィンクスについてですがなぞなぞを出すのはエジプトのスフィンクスではなくギリシャ神話のスピンクスの方なのです。 さて、このなぞなぞ好きなスピンクス。 もし彼女の出すなぞなぞに答えられなかったらどうなるのでしょうか? ゲームが好きとは言え仮にも彼女は怪物です。 そのなぞなぞに間違って答えてしまうと食べられてしまいます。 でも安心してください。 何も答えずに引き返すことも出来るんですよ。 なおスピンクスは戦いにおける死から身を守る力の象徴でもあります。 不死と言われた彼女の母親エキドナの力を受け継いだのでしょうね。 エジプトのスフィンクスとギリシャのスピンクス 今回お話ししたスフィンクスとスピンクスは容姿も名前も違いますが同一の存在とされています。 スフィンクスが持つ敵を倒す力と王を守る力。 スピンクスが持つ戦いでの死から身を守る力。 どちらも戦う者の味方であることは間違いありません。 崇め敬うことでその力を与えてくれるスフィンクスに対してスピンクスの加護を受けるにはどうすれば良いのでしょうか。 スピンクスにとって謎かけやゲームは戦いそのものです。 なぞなぞに答えずに引き返す者は彼女にとっては戦いに身を投じてすらいないのです。 間違って答えてしまえば彼女に食べられてしまいますがそこにはきっとスピンクスから戦った者へ敬意が込められているのではないでしょうか。 スピンクスに勝つにはどうすれば良いのか。 それは簡単です。 スピンクスにとっての戦いつまりゲームに勝つことです。 現に彼女はなぞなぞに正解された際は海に身を投げるそうです。 目の前に戦いが現れた時あなたはどうしますか? 逃げれば何も手に入らない。 戦えば力が手に入るかもしれない。 あなたは逃げますか?それとも戦いますか? それでは今日はこのあたりで。

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「スフィンクス」とは?由来となった動物や謎かけの神話も解説

スフィンクス なぞなぞ

日本のなぞなぞ [ ] に編纂されたには、「戯書」と呼ばれるを使った強引な当て字による言語表現があり、なぞなぞに通じる遊び心を酌み取ることができる。 日本で最初になぞなぞを始めたとされるのは、の「『』を読め」と言われている [ ]。 にはなぞなぞは「なぞなぞ物語」と呼ばれており、貴族のあいだではから派生した「なぞなぞ合 あわせ 」が行われた。 なぞなぞ合は左右に分かれて互いにの知識を婉曲に問うもので、返答も答えを含めた和歌を詠むことで行われた。 に入るとなぞなぞ物語は「なぞなぞ」「なぞたて」と呼ばれるようになり、質問は和歌より盛んになったの技法である賦物の影響を受けるようになった。 の日記『』には当時のなぞなぞが収録され、宣胤が謎連歌を自作した記事が残されている。 には宮中以外でも、文芸好きの僧侶や侍によってなぞなぞが楽しまれるようになり、・真筆と言われる宸翰本『なぞたて』など、なぞなぞ集が作られるようになった。 しかし、に入るとなぞなぞは大衆化・演芸化し、連歌の流れをくむなぞなぞは埋没してしまった。 問い・答え・答えの解説から成る三段謎は、江戸時代初期のの歌詞に見られるように演芸・話芸などの興業や、なぞなぞ本として盛んに出版された。 現代の日本では、最後の「何だ」という文句を「なーーんだ」と節をつけて歌うように語る事が多い。 スフィンクスのなぞなぞ(ギリシャ神話より) [ ] フェキオン山のが通りかかる人間に問いかけたという「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足。 この生き物は何か?」というなぞなぞは世界的に有名である。 答えられなかった者はスフィンクスに食い殺されたそうだが、ある旅人()が正解を答えるとスフィンクスは崖から身を投げたという。 このなぞなぞの答えは「人間」。 赤ん坊の頃は四つん這い、やがて二本足で立つようになるが、老人になると杖を突くので三本足になる、というわけである。 このなぞなぞでの「朝」「昼」「夜」は人間の一生を一日に例えた比喩的表現である。 一部の間では「朝も昼も夜も赤ん坊は4本足、その後は2本足、その後は3本足」という解釈も出てきている。 同型のなぞなぞでは「最初は4本、次は2本、最後は3本」となっている場合が多い。 なぞなぞの例 [ ] 問題1「上は洪水、下は大火事、これな~んだ?」 答え:「お風呂」 問題2「パンはパンでも食べられないパンは、なぁに?」 答え:「フライパン」 問題3「パンはパンでも、空を飛ぶパンはな~んだ?」 答え:「ピーターパン」 なぞなぞに関するテレビ番組 [ ] クイズ番組 [ ]• (系列)• (制作・系列)• (系列)• (制作・日本テレビ系列)• (系列) 以上 なぞなぞが存在したクイズ番組。 テレビアニメ [ ]• (制作・日本テレビ系列) 毎回ラストに「コボなぞ」というコーナーが有り、コボちゃん一家がなぞなぞを出していた。 そしてその答えは、次回放送分の「コボなぞこたえだよ」で発表していた(レギュラー放送最終回ではその場で発表)。 その他 [ ]• 毎回、キレンジャーこと大岩大太と加藤太郎少年がやるなぞなぞが名物。 時によっては、敵組織「黒十字軍」の戦闘員ゾルダーもやる事が有った。 また中期の次回予告では、ナレーターのが視聴者相手のなぞなぞを出して、「『ゴレンジャー』を見て、なぞなぞ博士になろう! 」(あるいは「なぞなぞに強くなろう! 」)と締めた。 (系列) 毎回ラストに、視聴者から投稿されたなぞなぞを、一休さん()が答えるコーナーが有った。 (TBS系列) 「魔王軍」の一人に、なぞなぞの得意な「半魚人の半ちゃん」がおり、毎回「バリキン軍」になぞなぞを出していた。 また番組ラストには、半ちゃんが視聴者への投稿なぞなぞを出していた。 (制作・フジテレビ系列) 番組ラストに、視聴者への投稿クイズ「宿題クイズ」として、なぞなぞを出していた。 テレビ東京系列 番組内の「ポケテレチャレンジ」の1コーナーとして、ポケモンが問題文中に登場するなぞなぞ「ポケナゾ」が出題されている。 その日の出演者全員が正解できれば、抽選で視聴者1名にポケモン関連の商品が当たる。 (フジテレビ系列) 2015年9月28日放送分から2016年4月1日放送分まで、毎回エンディングでキャスターたちがなぞなぞを出す「みんなのなぞなぞ。 」が放送された。 なぞなぞに関するラジオ番組 [ ]• によるラジオ番組「」の中のコーナー。 2012年1月23日(第848回)-2013年4月1日(第910回) なぞなぞを題材にした作品 [ ] 書籍 [ ]• 『ことば遊び』 ( 1975年)• 『なぞの研究』 ( 1981年)• 『日本語のしゃれ』 ( 1979年)• 『ことば遊びの文学史』 ( 1999年)• 『ことば遊びの世界』 ( 2005年)• 『ことば遊びへの招待』 ( 2008年)• 『アタマがめざめる! なぞなぞ脳活』 ( 2016年) 脚注 [ ].

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仏の子ども会〜書き初めしよう!!

スフィンクス なぞなぞ

古くから知られている有名な謎かけに、 の謎かけ、と呼ばれているものがある。 「朝は4本足、昼は2本足、夕は3本足である生き物はなんだ?」 というものだ。 は、謎かけに答えることができなかった旅人を 食い殺してしまったと言われているから、 けっこう、おそろしいなぞなぞなのだ。 このなぞなぞを解いたのが、オイデュプス王であったと、伝説にある。 なぞなぞのこたえは、「人間」である。 朝、昼、夕という3つの時間帯は、それぞれ、人間の一生における 段階をあらわしている、という。 朝は、人間が生まれたてで、よつんばいではいはいをしているから、 4本足。 昼は、成長して二足歩行をするようになるから、2本足。 夕は、老人になって、杖をついて歩くようになるから、 杖も1本とかぞえて、3本足。 だから、これは人間の一生をあらわしている、と、 こういうわけなのである。 では、このお話の「教訓」は、いったい、なんなのだろう。 いや、もちろん、ただのなぞなぞにすぎないよ、教訓なんて もとからないんだよ、と考えることもできる。 でも、なぞなぞなんて、はるか昔から今日に至るまで、 それこそ数えきれないほどつくられてきただろうに、どうして このなぞなぞは、こんなに長い時をへて、こんなにさまざまな国に おいて、みんなが知っている有名ななぞなぞになったのだろう。 神話や物語、伝説、説話、といったものが、 はるかな時をへても朽ち果てることなく伝えられていくのは、 たぶん、そのなかに、一見しただけではそれとわからないような かたちで、この世界の真実、真理がかくされているからではないか、 と、個人的には考えている。 では、このの謎かけにかくされている意味とは、教訓とは、 なんなのだろうか。 このの謎かけは、西洋の物語である。 そして、そのこたえは「人間」である、と、「日本語」で伝わっている。 ということは、もともとの西洋においても、 日本語の「人間」に相当する、むこうの言葉があったはずなのだ。 ここで、人間、という日本語について考えてみる。 ここ日本では、人間という言葉以外にも、ひと、人、という言葉が、 人間やひとをあらわすのにつかわれている。 そして、人、という文字からは、人類、という言葉もできてくる。 人間という言葉なら、1人1人のひと、という感じがするが、 人類といえば、そういった人間の集合体、ということにもなろう。 もしかしたら、このの謎かけのこたえは、 むこうの西洋では、「人間」ではなく、「ひと」だったのではないか。 そして、それは、ただひとりの「人間」をあらわすだけではなく、 「人類」をもあらわしていたのではないだろうか。 では、もしこの謎かけのこたえが「人類」であったなら、 そこにはどんな教訓がかくされているのだろう? もういちど、この謎かけをみてみよう。 朝は、4本足。 昼は、2本足。 夕は、3本足。 すると、このそれぞれの段階において、 人間の体における頭の高さ、頭の位置が、微妙に異なっていることに 気づく。 朝は4本足ではいはいしているのだから、頭の高さは地面近くの 低いところにある。 昼は2本足で歩いていて、この状態で人間の頭の高さは、 もっとも高くなる。 夕は、杖に体重をあずけて、やや前傾姿勢になるから、 2本足の昼の時にくらべると、そのぶんだけ、わずかに頭の位置が 低くなる。 人間の頭って、なにをするところだろう。 それは、物事を考えたり、判断したりする場所だ。 つまり、人間の理性をつかさどっているのが、人間の頭、ということになる。 その理性があるからこそ、人間は文明をうみだし、文明を発展させ、 さまざまな発見や発明をおこない、いわゆる文明の利器もうみだしてきたのだ。 ここで、朝は4本足、昼は2本足、夕は3本足、というのを、 1人の人間の一生、ととらえるのではなく、人類の歴史、ととらえてみる。 朝は4本足。 この段階では、はいはいをしていて、頭の位置はひくい。 人類の理性も、まだ十分に発達していなかった。 さまざまな道具は、まだ十分にうみだされていなかったかもしれない。 火もあつかえず、獣の脅威におびえていたかもしれない。 言葉も、文字も、それらを記録する方法も、まだ十分には発明されていなくて、 コミュニケーションによる協働作業も、十分なものではなかったかもしれない。 人類の理性と文明の、黎明期だ。 昼は2本足。 この段階では頭の位置が十分に高くなる。 人類の理性が発達していく。 人類は、自分の頭で考えたり、試行錯誤したりして、さまざまな発見、発明を おこない、文明を発展させていく。 星々の規則的な運行を観察することで、いつ洪水がおこるのか、といったことを あらかじめ知る。 太陽の動き、そのかたむき、季節の変化から、暦をうみだす。 火を通せば、食物を安全に食べられることを知る。 火薬が戦争に有効であることを知る。 をつかえば、効率的に、安全に航海できることを知る。 日常的な自然現象の背景に、科学法則の存在することを、実験と観察によって 知る。 人類の理性と文明は、発展していった。 夕は3本足。 老人は杖をつく。 杖は、老人を楽にしてくれるいっぽうで、 やや、頭の位置を下げる。 人類は文明を発展させ、ついには、近代科学、現代科学という、巨大な体系を 実現した。 そうして生まれた科学文明の巨大な体系は、人間に、多数の「文明の利器」を もたらしてくれた。 航空機、船舶、衛星放送、、パソコン、インターネット、洗濯機、 電子レンジ、エアコン、数え上げればきりがない。 そういった文明の利器を手に入れたおかげで、人類は、「楽」ができるように なった。 遠方の地へ旅するのに、何か月、何年とかかることは、もはやない。 友人や恋人と連絡をとるのに、手紙に頼らなければいけないわけでもない。 冬にこごえる必要もなければ、夏の暑さに苦しむ必要もない。 人類は、そういった「文明の利器」を手にすることで、たしかに「楽」をする ことができるようになった。 ちょうど、老人が自分のからだをささえる、「杖」を手に入れたように。 でも、この文明の利器を、その中身を、そのしくみを、 理解して使っているひとは、いったい、どれくらいいるだろうか。 パソコンも、も、ボタンをおせば、画面がきりかわる。 エアコンも、スイッチひとつで、冷風、温風がでてくる。 やあ、便利な時代になったね。 昔にくらべて、人類は進歩したね、と。 でも、ほんとうにそうだろうか。 進歩したのは、いったい、なんなのだろう。 たとえば、昔の漢文の文章とかをみてみると、句読点があまり打たれていない ことに気づいたりする。 句読点があれば便利なのに昔はなかったんだね、と現代人は思うかもしれない。 が、裏をかえせば、むかしのひとは、句読点なしでも文章を把握できるほど 強い理性をもっていた、ということだ。 カレンダーや時計のない生活は、現代人にとって不便なものかもしれない。 が、むかしのひとは、そういったものがなくても、時の変化、季節の変化を 把握できる、強い理性をもっていたんだ。 杖というのは、人間を楽にしてくれる。 ただ、杖をつかうと頭の位置が下がるし、杖をつかうのは老人だ。 文明を発展させる人間の理性は素晴らしいけれど、 その文明によってうみだされる「文明の利器」という「杖」にもたれかかり、 そこで楽をするようになった現代という時代は、 人間の理性そのものは、かえって低下してはいないだろうか。 ちょうど、杖にからだをあずけた人間の、頭の位置が低くなるように。 朝は4本足、昼は2本足、夕は3本足。 杖をつかうことで3本足になった時間帯というのは、夕方だ。 よくよく気をつけないと、それは、「人類の夕方」「人間の歴史の夕方」 になってしまうんじゃないか、と、 はるか昔のかなたから、は警告しているのかもしれない。 reasongomainstream.

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