キングダム 信 きょう かい。 摎(きょう)の史実・700年続いた周王朝を滅ぼした秦の将軍だった

キングダムの恋愛ネタバレ!史実では信と貂が結婚?きょうかいは?

キングダム 信 きょう かい

羌瘣(きょうかい)は秦国独立遊軍・飛信隊の副隊長で、また秦国の三千人将を務める本作のヒロインの一人です。 伝説の暗殺一族・蚩尤で最強の実力を持っており、 正当な後継者ではなかったが、現後継者だった 幽連 ゆうれん との一騎打ちでそれを打倒し、現最強を証明した 成長した信でも羌瘣には一歩力が及んでいないほど。 速さと多彩な技はトップクラスの能力を持っていますが、体格的に単純な力が他の武将と比べ低いという欠点があります。 また、体力があまりなく、激しい動きをし続けると呼吸が不安定になるという弱点も持っています。 そのため、短期決戦では最強クラスの力は持つものの、総合的な力ではトップクラスからは一段落ちるといった評価です。 しかし戦闘描写ではいずれも 「化け物だ・・・」と評価されており、渕さんからも「将軍の座も狙える傑物」と評価されています。 おそらく秦国若手の中では一番強いでしょうね。 今後、 六大将軍の一席を掴む可能性も十分にあると思われます。 羌瘣(きょうかい)は信のことが好きなのか? 初登場時は周り誰も信じず、ただ復讐のために生きていた羌瘣(きょうかい)ですが、飛信隊に所属していくことで生きる目標を見つけ、信を恋愛対象として見ている節があります。 また、 「お前(信)の子を産むことが夢だ」という発言もあり、(子作りの意味は分かっていないようでしたが…)完全に信のことを信頼している様子が見受けられます。 奢雍 ちょうよう の戦いでは誘拐されたテンのことをどう思ってるのか?と我呂が信へ詰め寄った際は、どう発言するかを気にしている描写もされています。 信には少なからず好意を持っているようですね。 本作では、羌瘣(きょうかい)と河了貂 かりょうてん が2大ヒロインとして上がっており、最終的にどちらとくっつくかは今後も注目ポイントでしょう。 こちらもどうぞ!.

次の

キングダムの恋愛ネタバレ!史実では信と貂が結婚?きょうかいは?

キングダム 信 きょう かい

スポンサーリンク 摎(きょう)の史実を紹介します。 摎の読み方ですが、一般的には「きょう」が多いですが「きゅう」と読まれる事もあります。 尚、摎はキングダムの設定では、戦神と言われた昭王の娘と言う設定になっています。 ただし、母親の身分が低かったために、娘と言う事は隠されて王騎の召使いとして育っています。 さらに、大将軍として100個の城を落とす事が出来たら「」と結婚が出来るなどの話しもあり、秦の六大将軍の中でも非常にキャラが立つ存在です。 しかし、史実の摎を見る限りでは、女性ではなく男性だと思われます。 司馬遷の書いた史記などには、摎が女性だったとは、どこにも書いていないからです。 他にも、龐煖に討たれたなどの話しは、史書には無くキングダムのオリジナルの設定でしょう。 今回は、キングダムでも人気が高い女性キャラでもある摎を紹介します。 尚、摎の苗字は「楊」で「楊摎」だとする説も根強いです。 関連記事: 関連記事: 目次• 韓を攻撃して陽城、負黍を取る 記録として、摎が初めて史書に登場するのが、紀元前256年に韓を攻めて陽城、負黍を取った記録です。 負黍と言うのは、土地や痩せていましたが要所でもあり、戦国時代の初期に韓が鄭を滅ぼす時に、拠点になった場所でもあります。 韓は鄭を滅ぼすと、鄭の都であった新鄭に遷都しています。 つまり、 摎が韓の負黍を取った時点で、韓は滅亡が見えてきたと言えるでしょう。 韓も要所である負黍を取られてしまったら、どうなってしまうのかは分かっていたはずです。 それを考えると、韓も激しく抵抗をしたはずで、激戦地になった可能性も十分にあるでしょう。 陽城や負黍を取る戦いにおいて、西周君が秦を妨害したり、趙や魏なども韓を助けた形跡があります。 そのため、3晋(韓・魏・趙)の諸侯も負黍を秦に奪われる危機感があり、激しく抵抗した事が予想されます。 そういう中で、最後は摎将軍の活躍で、勝利したのではないかと思います。 尚、前年にあたる紀元前257年には、史上最強の名将とも言われてる白起が自刎しているわけです。 それを考えれば、摎の活躍は、秦の首脳陣をホッとさせた事でしょう。 スポンサーリンク 趙を攻めて20県を奪う さらに、摎はこの年に趙を攻めて20県を奪ったとされています。 摎が趙の捕虜など9万人を斬首したという記録があるため、大戦果を挙げたとも言えます。 前年にあたる紀元前257年がが、趙の都である邯鄲を攻めて失敗した年ともされています。 司馬遷の書いた史記は、1年のずれが所々にあり紀元前256年が王齕が邯鄲を攻めて失敗した年になっている場合もあります。 それを考えると、王齕が邯鄲を攻略するのとは、別の秦軍として摎がいて趙を攻めた可能性もあるはずです。 さらに、王齕は邯鄲の攻略は失敗していますが、と合流して魏の寧新中を攻め落とした記述もあります。 秦は、邯鄲だけではなく、趙の領土を多方面から攻めていたのではないか?とも考えられます。 ただし、史記の趙世家では、慶舎と楽乗が秦の信梁軍を破ったとする記述もあるわけです。 他にも、楚世家の記述で景陽(楚の将軍)が、趙の新中を助けて秦は兵を退いたとする記述もあります。 それを考慮すると、多方面から趙を攻めたが、摎の様に功績を挙げた将軍もいれば、信梁軍のように趙に敗れた秦軍もいたのでしょう。 信梁に関してですが、一説によると王齕と同一人物だとする説があります。 ただし、これに関しては信憑性が薄いと考える専門家も多数います。 秦が圧倒的な強国となっている これらの記述を見ると、秦が圧倒的な力を持っていた事が分かります。 王齕に趙の都を囲ませたかと思えば、摎は韓の要地である負黍を落としているわけです。 さらに、張唐の軍も活躍しています。 これを見ると、秦の昭王も最後期の頃には、韓・魏・趙などを同時に相手にするだけの国力を秦が持っていた事が分かります。 周りと同盟を結んで各個撃破するのではなく、一軍は趙を攻めて、もう一軍は韓を攻めるなどが出来ているからです。 織田信長の最盛期の、方面軍と似たような状態だったのでしょう。 嬴政(始皇帝)が即位する以前から、秦が6国(燕・魏・韓・趙・楚・斉)よりも遥かに大きな戦力を有していた事が分かる事例でもあります。 スポンサーリンク 西周を滅ぼす 当時の周王は赧王でしたが、西周の武公に養われていたようです。 赧王は、完全に名前だけの周王となっていました。 先に、摎が韓を攻めて陽城、負黍を取った話をしました。 この時に、西周の支配者である武公が、韓・魏・趙・楚などと合従の同盟を結ばせて、伊闕から出撃して秦を妨害したとされています。 摎は、昭王の命令により西周を攻撃しました。 すると、西周君(武公)は、西周の領土を全て秦に献上したわけです。 これにより、周の赧王も秦の支配下になったわけですが、直ぐに亡くなってしまったようです。 その後、赧王の跡を継ぐ者がいなかった事から、 事実上の周王朝の滅亡と言えます。 赧王が最後の周王となるので、周を滅亡させた将軍は摎と言う事になります。 周は、周王朝の力が諸侯を上回っていた西周王朝や、形だけになっていた春秋戦国時代を合わせれば、700年以上も続きました。 その伝統ある周王朝を滅ぼしたのが、摎だとも言えるでしょう。 尚、僅かに東周(東周君の国)は残っていますが、東周には周王はいませんので、西周の滅亡を持って周は滅亡したと言えます。 紀元前256年は、圧倒的に摎が活躍した年で、この年だけを見ればキングダムで言う 「六将の中で最も苛烈な攻めを得意とした将軍」という名に相応しいと言えるでしょう。 ただし、史実でも秦の考える事や摎が苛烈だったせいか、秦は周を滅ぼしたが西周の民は東方へ逃げたとあります。 これは秦の支配を嫌う人が多かった事の表れでもあるのかも知れません。 摎であっても、9万人斬首などをやっている為、殺されてしまうと思い民は東方へ逃げた可能性もあるでしょう。 魏を討つ 紀元前254年に、摎が魏の呉城を奪った記述があります。 これに関しては、魏が秦に入朝するのが遅れた為に、秦が魏を討った事になっています。 魏という国は、晋が韓・魏・趙に分裂した時から、秦に対して頭を下げる事を嫌っていたような国です。 そういう事もあり圧倒的に秦が力を持ったこの時代であっても、頭を下げたくなかったのかも知れません。 しかし、秦としてみれば、それが気に入らずに魏を攻めたのではないかと感じています。 ただし、魏は秦を嫌っていたはずですが、ついに頭を下げなくてはいけない状態になってしまった可能性もあるでしょう。 そうなると、秦に対して抵抗し続けてきた魏も凋落を迎えているような気がしてなりません。 どちらにしろ、紀元前254年に摎が魏を討って功績を挙げた事は事実でしょう。 尚、この記録が史実での摎の最後の記録となっています。 摎の子孫が楊端和だったのか? 自分が勝手に作ってしまった説なのですが、史実では摎の子孫がなのではないでしょうか? 摎は、1文字で史書には記録されていたりもしますが、性は「楊」だともされています。 すると、楊摎と言うのが、本名となります。 これだと、楊端和と摎は同姓と言う事になります。 他にも、 蒙驁、蒙武、蒙恬と蒙家も3代続けて将軍になっています。 それを考えると、秦の将軍は家柄で継承している様にも見えます。 それを考えれば、昭王の時代に活躍した楊摎の子が、 嬴政(始皇帝)の時代に活躍した楊端和でもおかしくはないかな?と思うわけです。 もちろん、これは自分の勝手な想像ですが、子孫とまで行かなくても、一族だと言う事も十分に考えられると思いました。 ちなみに、楊端和はキングダムでは女性と言う事になっていますが、史実では摎と同じように男性の将軍であったと思われます。 摎の最後 摎の最後ですが、史記などにも記録が残っていないので、どうなったのかは分かりません。 しかし、龐煖に討たれたなどは、キングダムのオリジナルストーリーだと思われます。 趙との戦いにおいて、大戦果を挙げたにも関わらず、その後の戦いの実績が余りにも分からないのは、 早世の天才だったのかな?と考えた事もありました。 新選組の沖田総司、三国志の呉の周瑜、漢の武帝時代の霍去病みたいな感じだったのかな?とも感じています。 秦は白起であっても自害させられてしまう程などで、摎も何かしらの問題で罪を問われてしまった可能性もあるでしょう。 他にも、出処進退などを考えて昭王が亡くなり、呂不韋の時代になる前に将軍を引退したとも考えられます。 この辺りは、資料が無いので分かりませんが、何とも言えません。 しかし、秦で大功を立てた将軍と言えそうです。 ちなみに、キングダムの摎ですが、可愛く描きすぎていると思うのは私だけでしょうかw キングダム:.

次の

【キングダム 】きょうかいが考えた剛力とは?作戦は成功か失敗か?

キングダム 信 きょう かい

この記事の目次• 1ページ目• 2ページ目• 紀元前229年の趙攻略 では、最初に羌瘣が王翦、そして楊端和と共に、趙を滅ぼした戦いを秦始皇本紀から見て見ます。 紀元前229年秦は大兵を興し趙を攻めた。 王翦は 井陘 せいけい に至り、楊端和は 河内 かだい に至り、羌瘣は趙を征伐した。 楊端和は 邯鄲城 かんたんじょう を包囲した。 紀元前228年、王翦と羌瘣は趙の東陽の地を 蹂躙 じゅうりん し趙王を捕らえ、さらに兵を引いて燕を攻めた。 このように、羌瘣は飛信隊に属しているわけではなく、王翦や楊端和と共に趙を攻めて、趙軍を撃破し、東陽の地を蹂躙して趙王を捕らえた上に王翦と共に燕を攻めています。 もちろん、キングダムにはフィクション要素があり、羌瘣が飛信隊の副長という設定も漫画だけのものですが、しかし、史実として羌瘣が信とは別々に王翦や楊端和と組んで、趙を攻めるという史実は、きっと反映されるでしょう。 では、どのような形で羌瘣は単独で王翦や楊端和と戦う事になるのでしょうか? 羌瘣ママでも大将軍を目指す 羌瘣と信はまだ20代だと思われるので、結婚してしっかりウヒョに励むと、かなり早い段階でjrが誕生すると考えられます。 それが例えば、紀元前235年と考えると、羌瘣の子育てがある程度一段落するのが、jrが6歳くらいになる紀元前229年と考えられます。 そこで、羌瘣は考え始めるわけです。 「そう言えば私は、信と共に大将軍になるという誓いを立てていたな息子も手が離れたし、本格的に戦いに復帰し夢を叶えよう」 それと同時に、飛信隊の副将ではなく、独立した羌瘣軍の指揮官として自らの実力を試してみたいという気持ちに駆られ、あえて飛信隊ではなく、同じく女性である楊端和と共に、王翦配下になり、独力で大将軍を目指すのです。 どうして、信の妻として安定した地位を得ているのに、危険な戦場に立つのか? それは子育てをするママとしての立場で終りたくないという羌瘣の気持ちであり、言うなれば、ママでも大将軍という事です。 キングダムでも女性活躍 史実でどうかは別としても、キングダムは旧六大将軍に1名、新六大将軍候補に2名の女性キャラがいますし、楚にも秦にも大女のカリンや 糸凌 しりょう がいるなど、女性が活躍するシーンが多い漫画だと言えます。 確かに戦う女性キャラは、少年漫画に欠かせないものですが、従来は最後に主人公に勝ちを譲る形で敵に敗北して終わるパターンが多いものでした。 しかし、令和の漫画であるキングダムでは、それでは終わらず、女性キャラが男性キャラに負けずに活躍する。 それも出産、子育てで漫画からリタイアするのではなく、子育てが一段落した所で、再び一度は停止していた夢に向かって動き出す。 そんな思いを込めて、もっとも人気が高い女性キャラの羌瘣に、子育て一段落後に、もう一度、大将軍の夢を追ってもらうという展開になるんじゃないかと考えます。 従来だと、そのまま家庭に入り終わりという所ですが、そうではないというのが新しいというわけです。 もしや信と離婚 kawausoは、吊り橋現象と言うのを聞いた事があります。 すなわち、絶体絶命の状態を共有した男女は、その不安を解消する為に、お互いにくっつきやすいというものだったと思います。 よくハリウッドのアクション映画では、絶望的な危機を何度も乗り越えた男女が最 後には熱烈な恋に落ち、人前でチュッチュ、チュッチュ繰り返した上で、結婚して日常がやってくると相手に愛想が尽きて、THE離婚!という事が多く見られます。 それって、信と羌瘣でもかなり当てはまるのではないかと思います。 いつでも、ギリギリ限界の戦場で支え合う間に恐怖の鼓動を恋愛のドキドキと勘違いしたのです。 ましてや、男性経験がない箱入り娘の羌瘣の事ですから、思い込んだら、周囲の忠告も聞けない程にまっしぐらになってしまい、結婚して程なくjrも授かったものの、戦場を離れた信は、毎日、毎日、木剣を振り回し飯を食い、後は寝るだけのぐーたら生活。 家の中をゴロゴロし、しまいには、ぶっ!とデカイ屁をぶっ放すようになった信に愛想が尽きた羌瘣は離婚届けを突きつけて、jrを連れて出て行き、子供を立派に育てるべく、再び、秦の大将軍を目指して自分の人生を生きるわけです。 これにしたって、旦那の稼ぎに依存しない自立した令和女性の生き方とも言えなくはないのではないでしょうか? 【次のページに続きます】 今、飛信隊は独立遊軍の立場を認められてるから信の五千人隊と羌瘣の三千人隊の共闘作戦が認められてるんじゃないかと思います しかし今回の鄴攻め以降おそらく信は将軍へ羌瘣は五千人将に昇格するでしょう 信が将軍になる以上、信直属の部隊は独立遊軍とはいかないのではないではないかと そうなると必然的に羌瘣の五千人隊は戦いのつど本営の判断により将軍の誰かの下に付く事になるんじゃないでしょうか 移籍とかそう言うかっちりしたものではなく黒羊の時、飛信隊が本営の指示で桓騎の下に付けられたのと同じような事起きるのかも? HPのリニューアルお疲れ様です 凄く軽くなりました、有難うございます これからも楽しい考察を楽しみにしています.

次の