羅生門 あらすじ。 羅生門 (1950年の映画)

3分でわかる!芥川龍之介の羅生門のあらすじと解釈

羅生門 あらすじ

羅生門のネタバレあらすじ:起 長年の戦さで荒れ果てた平安時代の京都。 崩れかけの羅生門へ、1人の下人が雨宿りするため走り込みます。 そこにはすでに杣売りと旅法師が雨の止むのを待っていました。 なぜか2人は呆然とした表情で、「分からない」という言葉を繰り返しつぶやいています。 不思議に思った下人が事情を聞くと、2人は彼らが証人となった裁きについて語り始めます。 それは、山の中で起こった強姦と殺人に関するものでした。 事の発端は、林の中に入った杣売りが、侍・金沢武弘の死体を発見したことです。 杣売りが検非違使へ届け出て、取り調べが始まりました。 まず、旅法師が呼ばれ、旅の途中の金沢を見たと証言。 その時、金沢は妻の真砂と一緒でした。 羅生門のネタバレあらすじ:承 やがて犯人が捕まります。 京都でも名の通った盗賊の多襄丸です。 彼は真砂を強姦し、「生き残った者の妻になる」という彼女の希望により、金沢と決闘をして勝ったのだと主張。 真砂は決闘の間に逃げてしまったと供述します。 続いて、現場から姿を消していた真砂が取調べの場に連れてこられ、「強姦のあと多襄丸は逃げた。 その後、夫が自分を軽蔑の目で見るため、耐えられず刺殺した」と供述。 羅生門のネタバレあらすじ:転 そして巫女が呼ばれ、死んだ金沢の霊が彼女に乗り移って証言。 彼によると、強姦のあとで真砂は金沢を殺すように多襄丸に懇願。 それを聞いて多襄丸は呆れ果て、金沢に真砂の処分を訊ねてきたというのです。 真砂は逃げ、多襄丸も姿を消した後、金沢は自刃したのでした。 ……3人の供述が全く食い違い、一体真実はどうだったのか、さっぱり分かりません。 しかし、実際に事件の様子を目撃した杣売りによると、供述はすべて事実と異なるのです。 杣売りの話では、強姦後、多襄丸は真砂に妻になってくれと頼みました。 真砂はそれを断り、自分を軽蔑した目で見ている金沢の縄を解き、彼と多襄丸を争わせたのです。 多襄丸が勝利しましたが、真砂はどこかへ逃げてしまったのでした。

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芥川龍之介『羅生門』あらすじ|悪を正当化するとき、人は真の悪人になる。

羅生門 あらすじ

登場人物 下人 主人から暇をだされ、この先を思案しながら羅生門で途方に暮れている。 老婆 羅生門の楼のなかで、死人の髪を抜きかつらにして売ろうとしている。 あらすじ ネタバレあり 天災で洛中はさびれ下人は仕事を失い、羅生門で途方に暮れていた。 ある日の暮れ方、一人の下人が羅生門の下でぼんやりと雨が止むのを待っています。 この二、三年、平安の都は、地震、竜巻、火事、飢饉と災いが続き、洛中はさびれてしまっている。 人心は乱れて仏像や仏具を打ち砕き、人々は、丹がついたり金銀の箔がついた木を売っていた。 朱雀大路にある羅生門も荒れ果ててしまい、狐狸が棲み、盗人が棲み、引取り手の無い死人が棄てていかれた。 誰もが気味を悪がって、この門の近くにはやってこなかった。 夕焼けどきになると烏が、真っ赤な空に胡麻をまいたように飛び、死肉を啄みにやってくる。 下人は、七段ある石段の一番上の段に座り、ぼんやり雨の降るのを眺めていた。 下人は四、五日前に主人から暇を出され仕事を失ってしまい、行くところも無く途方に暮れていた。 明日の暮らしをどうにかしようとして、云わば、どうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えを巡らせていた。 どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいるひまはない。 そうしなければ飢え死にをするばかりである。 選ばないとすれば、「盗人になるよりほか仕方がない」が、それを積極的に肯定するだけの勇気が出ずにいた。 盗人になる勇気はなく、一夜を過ごすため楼の上にいくと老婆がいた。 夕冷えのする京都は、寒い。 下人は、ともかくも一晩、楽に寝れそうな所で夜を明かそうと見渡した。 すると門の上の楼へ上る梯子が目についた。 上はどうせ死人ばかりであろうと 聖柄 ひじりづかの太刀が落ちないように気をつけて登っていった。 羅生門の楼の上へあがり、梯子の中段で上の様子をうかがうと楼の上から、かすかに火の光が射している。 さらに梯子を二、三段上ってみると、上では誰かが火をともして、その火をそこここと動かしている。 下人は上りつめて、楼の内を覗いてみる。 噂通り、死体が無造作に棄ててあり、裸の死骸と着物を着た死骸があり、女も男もまじっていた。 死骸は皆、土をこねて作った人形のように、口を開いたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。 死骸の腐乱した臭気に思わず鼻をおおった。 しかし次の瞬間、下人の嗅覚を奪ってしまうほどの光景をみる。 死骸の中に人間がうずくまっていた。 茶色い着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老婆がいた。 死人の髪の毛を抜く老婆に、下人は激しい憎悪を感じた。 その老婆は、右の手に火を灯した木切れを持って、死骸のひとつの顔を覗き込むように眺めていた。 髪の毛の長い女の死骸だった。 下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて一瞬、息をするのさえ忘れた。 すると老婆は、死骸の首に両手を駆けると、長い髪の毛を1本ずつ抜き始めた。 毛が1本づつ抜けることで恐怖が薄らいでいった。 そして下人の心からは、この老婆に対する激しい憎悪が少しずつ動いてきた。 いや老婆と言うより、あらゆる悪に対する反感が強さを増してきた。 この時、下人に「飢え死にするか」「盗人になるか」を尋ねれば、何の未練もなく「飢え死に」を選んだであろう。 それほどこの男の悪を憎む心は、勢いよく燃え上がりだしていたのである。 下人には、何故老婆が死人の髪の毛を抜くのかは分からず、合理的には、それを善悪のいずれで片づけて良いかは分からなかった。 しかし下人にとって、この雨の夜に、羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くことが許すべからず悪であった。 勿論、下人は、さきほど盗人になる気でいたことなどはとうに忘れていた。 生きるため死人の髪をかつらにするという老婆の話で、勇気が湧いた。 下人は、梯子から飛び出し聖柄の太刀に手をかけ老婆の前に歩み寄った。 慌てふためいて逃げようとする老婆の行く手を塞ぎ、つかみあいながらねじ伏せて、太刀を抜いて白いはがねを目の前につきつける。 老婆は黙り、両手を震わせ肩で息をしながら目を見開き唖のように黙っている。 下人は、「自分は検非違使の庁の役人などではなくただの旅の者だ。 何をしていたのかを己に話しさえすればよい。 」と言った。 老婆は「この髪をぬいて、かつらにしようと思ったのじゃ、なるほど、死人の髪の毛を抜くことは悪い事だろうが、ここにいる死人どもは、皆、それぐらいのことをされても仕方ない人間ばかり。 今、髪を抜いているこの女は、生きているときにヘビの肉を干し魚だと言って売っていた。 わしはこの女のした事が悪いとは思うていぬ。 せねば飢死にする、仕方なくしたのだろう」 と言う。 「されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬ。 これとてもせねば飢死する。 仕方なくする事じゃ。 その仕方ない事をよく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるじゃろう」と老婆は言った。 下人は盗人になる勇気を覚え、老婆の着物をはぎとり闇に消えた。 この話を聞いているうちに、下人の心にはある勇気が生まれてきた。 その時のこの男の心持から言えば、餓死など、ほとんど考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。 「きっと、そうか」老婆の話が終わると、下人は 嘲 あざけるような声で念を押した。 そして、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。 そして足にしがみつく老婆を死骸の上へ蹴倒した。 そしてまたたく間に急な梯子を夜の底へかけおりた。 老婆は呟くような 呻 うめくような声を立て、梯子の口までいって下を覗き込んだ。 外には、ただ、 黒洞々 こくとうとうたる夜があるばかりである。 下人の行方は、誰も知らない。 解説 ここを読み解く! 生きるということの本質、それはさほど美しいものではない。 この下人は、道を究めた宗教家でも何でもない。 ごく普通に生きている、まじめな人間だ。 京都の洛中に、これでもかというほどに続く地震、竜巻、火事、飢饉などの災い。 この中で、生きることは本能としての強い生存欲求だとすれば、この状況においては、盗人になる選択肢しかない。 下人と老婆が出会う楼は不気味な光景だろうし、老婆の姿は、猿のようなみじめでみすぼらし姿であろう。 そして闇の中に消える下人が残す余韻は、まさに人間の悪の本性の残像すら消し去っている。 自然災害での苦しみであれ、政治などの圧政での苦しみであれ、戦争や争いでの苦しみであれ、それが極度の絶望になれば、道徳や宗教などの救いが届かないこともある。 死ぬ覚悟の無い人間に、真の正義を語る資格は存在するのか。 下人のことを悪く言うことはできる。 自分はこの状況下でも悪には決して落ちないと言うこともできる。 善なる行為を信じること、人間の理想を語ることは尊い。 一応、日本は裕福な社会として発展しているようだが、世界中を見れば、貧しい国や虐げられた人々はたくさんいる。 難しい問題だが、根本問題として、人間はこの問題から逃げてはいけないはずだ。 「今昔物語」の本朝世俗部巻二十九「羅生門登上層死人盗人語十八 羅城門の上層に登りて死人を見たる盗人の語 」を大筋にして、巻三十一「太刀帯陣売魚姫語第三十一(太刀帯の陣に魚を売る媼 老女 の話)」の内容を一部に交える形で書かれる。 つまり今昔物語を題材に創作されました。 さらにこれに三條院の天皇が東宮におられるときに、東宮に仕える帯刀の舎人の詰め所で、いつも来る魚売りの女がいて、これを買って食ってみるとうまかった。 古典に典拠してアフォリズムとして不朽の名作となり、生きるための悪という人間のエゴイズムを繊細に描き出しています。 発表時期 1915年 大正4年 11月、雑誌『帝国文学』に発表。 芥川が東京帝国大学在学中の無名作家時代のものである、当時23歳。 大正6年5月に「鼻」「芋粥」の短編とともに阿蘭陀書房から第1短編集『羅生門』として出版。 最後の結びの一文は、初出は「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急いでいた」であったが、2年半たってに大正7年に現在のように「下人の行方は、誰も知らない」となった。 全編を通じて情景が目に浮かぶような日本を代表する世界に誇る作品である。

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羅生門の鬼のあらすじと教訓!本当の意味の鬼とは?

羅生門 あらすじ

登場人物 多襄丸 三船敏郎 悪名高く女好きな盗賊、真砂を手籠めにする。 検非違使の庭でも不敵な態度をとる。 金沢武弘 森雅之 真砂の夫、優しい気立ての男で、妻を手籠めにされその後の態度に絶望し自害する。 真砂 京マチ子 金沢の妻、多襄丸に襲われる。 辱めを受け夫とともに死のうとするが死にきれなかった。 杣売り 志村喬 遺体発見者。 検非違使の庭で矛盾する三人の証言を聞くが、一部始終を目撃している。 旅法師 千秋実 金沢夫婦の姿を目撃する、検非違使の庭では三人の話を聞き、人間に大きな不信を抱く。 下人 上田吉二郎 雨宿りに羅生門で杣売りと旅法師の話を聞き、人間の嘘とエゴイズムを肯定している。 巫女 本間文子 検非違使の庭で、巫女の口を借りて死んだ金沢の霊が乗り移って証言を伝えていく。 放免 加藤大介 河原で、痛みうずくまっていた多襄丸を発見し、検非違使に連行する。 あらすじ ネタバレあり 平安の都では、戦さ、地震、竜巻、火事、飢饉と災いが続き、夜になれば洛中には盗賊の群れが荒らし廻っている。 ここ羅生門もすでに廃墟となり、ここで雨宿りをする男たちがいた。 杣 そま売り 山で木を伐り売る人 と旅法師 お坊さん は、藪の中での奇妙な殺しの事件の参考人として検非違使の庭で取り調べを受けての帰りだった。 そこへ下人が駆け込んできて三人でこの不思議な話を始める。 杣売りは「こんな話は聞いたことがない」と言い、旅法師は「人の心が信じられない」と言う。 杣売りは、下人にこの話を聞かせる。 検非違使の庭でそれぞれの証言が繰り広げられる。 目撃者と当事者三人三様の証言に、それぞれの嘘と虚栄心が潜んでいる。 目撃者の 杣 そま 売りの話 3日前、薪を取りに行った山で、侍の金沢武弘の死体の第一発見者は自分である。 あたりに太刀は見あたらなかった。 木の枝のところに 市女笠 いちめがさがひとつ、踏みにじられた侍 烏帽子 えぼしがひとつ、死骸の傍らに断ち切られた縄がひとつ、少し離れたところに赤地織の守袋が落ちていた。 目撃者の旅法師の話 死骸の男には3日前の昼下がりにあった。 場所は関山から 山科 やましなの途中。 女は、薄い布を垂らしていたので顔は分からない、男は太刀も帯びていたし、弓矢も携えていた。 あの男がこのようになろうとは人間の命は朝露のようにはかないものです。 目撃者の 放免 ほうめん の話 私がからめとった男は、多襄丸という名高い盗人です。 河原でうなっていたところを捕まえました。 弓矢や馬など殺された男が持っていたものです、間違いありません。 多襄丸 たじょうまる の話 あの男を殺したのは、確かに俺だ。 二人は、勇敢に戦いあって殺したのだ。 旅の途中の金沢夫妻と出くわし、風の吹いた拍子に顔をおおった 垂絹 たれぎぬがあがり女の顔が見えた。 とっさに男を殺しても女を奪おうと俺は決心した。 しかし、男を殺さずとも、女を奪うことができれば別に不足はないと思った。 そこで、向こうの山の古塚に鏡や太刀が沢山出て、藪の中に埋めてある。 もし望みなら安い値で売りたいと話すと、欲のあるあの男は、私についてきた。 そこで、俺は男を組み伏せ松の根方に捕縛しくくりつけた。 そして俺はとって返し、女を松の根方にくくりつけた男のもとへ連れて行った。 女は一目見るなり、小刀を引き抜き、俺に向かってきた。 どうにか小刀を打ち落とし、思い通りに男の命は取らずとも、女を手に入れることができた。 俺は、男を殺すつもりはなく、藪の外へ逃げようとすると、女は「あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥を見せるのは死ぬよりつらい。 私はどちらにしろ生き残った男に連れ添いたい」と言う。 俺は、男を無性に殺したい気になった。 男を殺すにしても俺は卑怯な殺し方はしたくない、男の縄を解き太刀打ちをしろと言った。 そしてあの男は勇敢に戦った、そして俺の太刀は二十三合目に相手の胸を貫いた。 どうかそれを忘れずにいてくれ、俺と二十合切り結んだのは天下にあの男ひとりだった。 そして、女のほうを振り返ると、女はどこにもいなかった。 太刀は都で売った。 そういえば、 螺鈿 らでんの小刀のことは、知らない。 真砂の話 恥かしめを受けた私は、夫に殺してくれと頼み死のうと思ったが、死にきれなかった。 さる寺に身を寄せていたところを 媼 おうなに探し出され検非違使の庭で証言する。 女は多襄丸の話とは違い、大人しく憐れなほどだった。 真砂は辱めを受け、多襄丸は金沢を殺さずそのまま逃げた。 その後、夫の縛られた縄を切ると、夫は、自分に蔑んだ冷たい眼差しを向け、あまりの辛さに自身を呪い、短刀を夫に渡し殺してくれと頼んだ。 そして自分は、気を失ったが、気がつけば、私の短刀が夫を刺していた。 私は死のうと思って池に身を投げようとするがどうしても死にきれなかった。 この弱い愚かな私はいったいどうすればよいのかと悲嘆していた。 巫女に乗り移った死んだ男の話 多襄丸のみならず、妻にまで裏切られて私は、生きる意味を失くし絶望の中、自刃した。 盗人は、妻を手籠めにするといろいろと妻を慰めた。 盗人は巧妙に話をしており一度でも肌を穢した以上、夫との仲もつれあうまい。 そんな夫といるより自分の妻になる気はないか。 自分は愛しいと思えばこそこんな大それたことをした。 こう言われたとき、妻はうっとりと今まで見せたことのない美しい顔になった。 そして「どこへでも連れて行ってくださいという、そのためにも多襄丸に夫を殺してくれ」と頼んだ。 すると多襄丸は、妻に呆れ足蹴にして「この女を生かすか殺すか決めろ」と私に訊ねた。 私は、この多襄丸の言葉に罪を許してもよいと思った。 その隙に妻は逃げた。 やがて多襄丸だけが戻ってきて、私の縄を切って去っていった。 残された私は、短刀をとり絶望の中で自害した。 そして静けさのなかで誰かが私の短刀を引き抜いたのを感じた。 クロサワは、藪の中の三人の出来事を杣売りの言葉を真実としている。 杣売りは、男の胸に短刀なんか刺さってはいない。 あの男は太刀で刺されたのだという。 下人は杣売りに「お前は、この出来事を全て見ていたらしいな、なぜ検非違使に言わなかったんだ」と訊ねる。 すると杣売りは「関わりあいになりたくなかった」と言う。 そして、杣売りが一部始終を話し出す。 山で女の泣き声が聞こえてきた。 木の隙間から覗くと、男と女と多襄丸がいて、多襄丸は女を手籠めにした後に、「頼むから俺の妻になるといってくれ」と手をついて頼んでいた。 「妻になってくれるのであれば、この世界から足を洗うし、お金もあるし、盗んだお金が嫌なら、汗水たらして働く」と言う。 女は、「私からは言えない、女の私に何が言えましょう」と夫の縄を短刀で切った。 それは、男同士で決着をつけることを意味していた。 すると夫は「こんな女のために命をかけるのはごめんだ」と言う。 そして「二人の男に恥を見せて何故、自害しようとせぬのか」と責め、「こんな女、くれてやる」と言う。 興ざめした多襄丸は、藪の中へ去っていこうとし、夫も浅はかな妻を見捨てようとした。 その時に、女は発狂したように二人の男を 誹 そしりこう 喚 わめきたてた。 女は、夫に向かって「夫だったら、なぜこの男を殺さない、私に死ねと言う前に、なぜこの男を殺さない、この男を殺して私に死ねと言ってこそ男じゃないか」と。 そして多襄丸に向かって「多襄丸だからこそ、こんな状況の自分を救ってくれると思ったのに、夫を殺しても私を奪おうという気概がないのか」と、多襄丸のお為ごかしに唾を吐きかける。 そして二人とも「ただの小利口な男だ」と罵る。 そして夫と多襄丸をたきつけて、男たちを決闘に仕向ける。 二人は、及び腰に剣を交える。 ともに命の惜しいなか、女にけしかけられての決闘に、仕方なく二人はどちらかを殺すべく戦っており、くんずほぐれつ、かろうじて最後は、多襄丸の剣が男の胸を刺した。 そして、それを見届けると、女は藪の中へ逃げていった。 追いかける多襄丸は、腰が抜けてしまい逃げていく女を追いかけることはできなかった。 多襄丸は、金沢の太刀をもって藪の中へ消えていった。 赤子に対する下人と杣売りと旅法師の言葉に、人間の心の混沌を思う。 その時、羅生門の片隅から赤子の泣く声が聞こえる。 下人は、すばやく赤子を見つけ、着物を剥ぎ取ってしまった。 畜生にも劣る行為をとがめる杣売りに対して、この平安の末世にまともに生きるものなど無いと話し、杣売りの偽善をなじる。 そして下人は、「お前こそ嘘をついている、短刀はどうなった、お前が盗んだんだろう」と、杣売りが真砂が持っていた高価な螺鈿の小刀を盗んだことを暴き立て殴りつけ、赤子の着物を抱え雨のなかを立ち去っていった。 旅法師は、赤子を抱えこの世を嘆く。 その時、杣売りは、罪の意識から赤子を自分の家で引き取って育てるという。 杣売りは、六人育てるも七人育てるのも同じだというのだ。 旅法師は、まだほんの少しなりとも残っている人間の良心に感謝する。 下人は、言う。 いったい正しい人間なんているのかい、みんな自分でそう思っているだけじゃないのか。 人間って奴は都合の悪いことを忘れ、都合のいいことをほんとうと思っている。 そのほうが、楽だからな。 三人の嘘の背景は、下記のように自身を美化したい思いがある。 多襄丸は、都にとどろく猛者ぶりが誇らしく、真砂に頭を下げ妻になるように願ったことや、金沢とのへっぴり腰の決闘の事実で臆病者には思われたくない一心の虚栄心が働いている。 真砂は、あくまで自分は最大の被害者という同情と、夫の保身の情けなさに対し武士の妻であり恥辱を受けて自害しようとする潔さを見せようとしたができずに、気がついたら短刀が夫に刺さっていたと自らの殺害も否定している。 金沢は、目の前で妻の辱めに会い、そして真砂に決闘を迫られて及び腰で戦い、多襄丸に負けたことを恥じ、真砂が手籠めにされたあと、あろうことか多襄丸と連れ添うと言ったことに、自分は苦しみながらすべてに絶望し、自ら命を絶っのだという。 三人三様そのように自身を美化し虚栄心を持っている。 しかし実際は、 多襄丸はただの女好きの臆病で、真砂は生きるために恥知らずであり、金沢は死を賭して妻を守るような勇ましさは無く。 そこを見破られることが、それぞれに最も、恥ずかしいのである。 映画には、原作となる芥川龍之介の小説「藪の中」に、小説「羅生門」が加わっている。 小説「藪の中」については、多くの研究論文や意見があり、ここではその視点よりも映画「羅生門」に見る人間描写やエゴイズムに焦点をあてる。 小説とは異なり、映画の強さとしてそれぞれの役者の演技や映像、音楽の要素は大きい。 モノクロームの映像は、太陽と影の陰陽を強調し、蝉時雨が激しく、ぎらぎらとした光の中で、多襄丸、金沢、真砂の三人が繰り広げる出来事。 三人三様の主張にそれぞれのエゴイズムが潜んでいる。 そして一部始終を見ていたという杣売りの話、この話すらも真実か否かは分からない。 奏でるボレロは、この平安朝の物語を、モダンな展開に運んでいく。 映画「羅生門」では、下人を加えている。 これは芥川の小説「羅生門」に登場する下人で、主人に暇を出され羅生門の上で老婆の着物を剥ぎ取るシーンを、赤子の着物を剥ぎ取るシーンにダブらせている。 巨大な羅生門の造作が映画ならではのスケール感を出している。 そして、小説「羅生門」の下人の心象を考えれば、平安の末世の悪事として肯定はせずとも、諦観のなかにある。 そして小説「羅生門」での下人は、まさにその悪に至るまでの心理変容が描かれており、最後は悪を正当化する。 映画「羅生門」の下人は、最初から悪を正当化している下人で、この平安の末世に悪を肯定し去っていき、その後、捨てられた赤子を杣売りが引き取るところで物語は終わる。 映画「羅生門」では、クロサワの提示する事件の真相は、杣売りの証言になっている。 冒頭に、杣売りが「わからねぇ」と連発しながら、かたや一部始終を見ていたとなり、なぜ検非違使に言わなかったかは、「関わり合いになりたくなかった」とされている。 つまり、映画「羅生門」では、真実を語るのは杣売りである。 この「わからねぇ」は、真実が分からないのではなく、かくも人間が嘘をつく理由、つまり人間というものが分からないと言っているのである。 芥川の小説「藪の中」には、最後に杣売り(小説のほうは 木樵 きこりだが)が語るシーンは無い、これは映画「羅生門」で、監督の黒澤と脚本家の橋本で加えられたものである。 さらに言えば、 杣 そま売りは小刀を盗んでいるから、盗人である。 その意味では、引き受け手がないとはいえ、旅法師の手を離れた赤子がきちんと育てられるかどうかなど根拠もなければ保証もない。 しかし、例えそれが偽善であれ、荒んだ世の中で行き先が決まった赤子に対して、旅法師がささやかなりとも人間を信じる安堵として描かれている。 そして、目の前で赤子の着物を剥ぎ取る下人に対して、短刀を盗んだ杣売りがみせる不確かな善意という僅かばかりの良心で物語は終わる。 栄華を極めた平安の終わり、末世の救いようのない天変と人心の乱れ、まさにカオスの世界が描かれており、人間の業は善悪の基準すら無いエゴイズムの中にいる。

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